「発達しょうがい」をマナブ

私は、「発達しょうがいの脳機能」の研究者でした。
研究を始めた当時は(約20数年前)、今ほど「発達しょうがい」の情報は氾濫しておらず、ADHDも診断学上(DSM-Ⅲ)ではADDと表されていました。もちろん今や各地にある「発達支援センター」も全国で数カ所しかありませんでした。

そんな中でなぜ「発達しょうがいの脳機能」研究に興味を持ったかという、いちばんの理由は、「発達しょうがい」のことを知れば知るほど私自身の生育歴、あるいは体験したこととたくさんリンクしていたからです。

そう、私自身がADHDな部分を持ってる!と気がつかされたのです。

大学院に在籍していた私は、ストレスの研究をしていましたが、発達しょうがいの研究へとシフトしていきました。

そして、もうひとつ気がつかされたことがありました。LD(学習しょうがい)も持ってるということです。大学院を修了し、医学部の助教に就いた私ですが、実は勉強する上でどうしても苦手とすることがありました。学ぶことや探究心は強いのですが、電話番号をよく見間違いしたり、アルファベットを見間違いしたりと学習面以外の生活面でのおっちょこちょいぶりは有名でした。

そういう私だからこそ、発達しょうがいを持つ人の生きづらさや苦労、ストレスを心底共感でき、脳機能の研究や薬理作用の研究をするに至ったのでした。

実験や研究だけでなく、実際、発達しょうがいを持つ子どもたちが受診する小児科外来で小児科教授の横で勉強させていただきました。また、スクールカウンセラーとして小中高校で起こるさまざまな問題や課題に取り組んできたのです。

そうして研究者とスクールカウンセラーという両輪で働いてきましたが、出産と育児を機に、仕事の第一線からは退きました。これは実は昔からひっそりと決めていたことですが、色んなタイミングと重なったこととで、自分の好きなことと家族のために時間を使って生きていくというリスタートをしました。

人生一度きりですが、三度味わいたい。
というのが私の昔からの野望(笑)です。
独身時代、母として、そして子どもが成人して後。
それぞれ、違うことをしてリスタートして生きる。一度きりの人生をひとつのことに費やせないと、はなっから考えてること自体がADHDだなぁとつくづく思います。


決して長生きしたいわけではないのですが、娘の嫁入りくらいは見届けたいですね(笑)



では、続きはまた。

ADHD/ASD/発達障害の専門家の探究〜Recherché LIFE〜

心理系大学院修了後、医学部助教として約10年勤務。「脳科学・心理学・生理学」の3つの専門性を活かして講義や研究に励んできました。特に発達障害の脳科学研究が専門。同時に心理臨床のスキルを活かし、小中高校でスクールカウンセラーとして子供から大人まで色々な方の様々な相談や問題(発達障害、不登校、DV、いじめ、学級崩壊etc…)を一緒に解決してきました。専門的な話から非常識な話まで何でも受け止めます。

0コメント

  • 1000 / 1000